全国在宅療養支援歯科診療所連絡会名誉会長
原歯科診療所院長(横浜市青葉区)
原 龍馬
健康寿命を伸ばす上でも、在宅療養している高齢者のQOLを向上させていくためにも、歯の治療や口腔ケアは非常に大切である。なぜかと言えば、口が、人間の生存を支える栄養を最初に取る器官だからだ。なかでも飲み込む(嚥下)前に必要な、ものを噛む力がとても大事だと思っている。
口の中をいくらきれいにしても噛む力がなければものを噛めない。しかしその反面、常にものを噛んでいれば口の中は唾液などの影響できれいな状態が保たれるため、噛む力をいつまでも保てるようにすることが大切なのである。加齢に伴って、運動能力や筋力、バランス、認知力などが低下していくフレイルが起こることはよく知られているが、口の中にもフレイルは起こる。だから、ケアを続けて、できるだけ噛む機能を保てるようにすることが必要である。
噛む力は使わないと弱くなる。歯の治療をし、再び噛めるようになると飲み込む力もよくなってくる。すると、十分栄養がとれ、ときに寝たきりだった患者さんが起き上がれるなどのケースもある。
私が高齢者の歯科治療の現実と出会ったのは、30年ほど前のことだった。しかも訪問治療の現場を通してである。
いまは横浜市青葉区で医院を開業しているが、当時、私は東京都の足立区にいた。そのころ東京都歯科医師会が行政と連携して高齢者の在宅治療を進めていくという方針を発表。私はその意義と意味がよく掴めなかったが、足立区歯科医師会の公衆衛生部会の委員長をしていた関係上、内科医の診察に同行し、そこでカルチャーショックを受けたことを今でも鮮やかに覚えている。
口の中にフレイルが進んでいて、来院される患者さんとはまったく違う状況だった。アゴの骨など、通常は三センチほどもあるのに一センチもない状態で、どう治療すればいいのか見当もつかないほどだった。私は来院の患者さんだけを見ていて、口のトラブルはほとんど治せるなどと思っていたので、いかに自分が天狗になっていたかに気づかされた。
以来、訪問歯科医療にのめり込んできたと言っても過言ではない。外来の患者さんとの大きな違いは、寝たきりの高齢者の患者さんの場合、口の中だけではなく全身を診なければいけないということである。ご家族の気持ちも受け止め、どんな治療をどこまでやることがいいのかを判断していかなければならない。通常は、いまの病気を根治し元通りにすることが「治す」ということだが、在宅医療では患者さんと正面から向き合うことが要求される。 「治し支える医療」である。
そうしたこともあって訪問歯科医療は歯科医の中で、なかなか根づいていかなかった。2009年には、志のある人たちを募って、全国在宅療養支援歯科診療所連絡会を立ち上げ、少しずつ在宅歯科診療の必要性が認識されてきて、いま会員は600名ほどである。横浜市歯科医師会でも、地域連携室を設け、私がいる青葉区や緑区にも連携室をつくり訪問診療を始めている。
しかし、十分な水準までいっているかといえば、まだまだである。訪問治療を実践している歯科医師は全体の一割ほどである。考えられる理由として、歯科医には、内科医のように往診という慣習がなかったこと。さらには、訪問診療の効率の悪さがあげられる。それを解消するために地域の歯科医同士の連携、また介護施設との契約といったことも考えていかなければならないと思う。
その上で、いま私がやろうとしているのは訪問看護ステーションの歯科バージョンと言ってもいい「訪問口腔ケアステーション」をつくることである。
まだ認可されていないが、いまは「準備する会」という看板を出している。目標は歯科衛生士さんを雇い、歯科医師との連携を密にして効率を高め、経営的にも安定する成功モデルを示そうと思っている。そうすることで各地に同じ試みが広がってくれることを期待している。